(アニメ)となりの吸血鬼さん

 

好きなアニメなのだけど、たまたま Amazon Prime Video でもう一度見直して感じた。これって百合なのか??

天野灯(あまの あかり)は人形が大好き。人形の館と言う場所に生きた人形がいるという噂を聞き、館を探しに行った、途中の森で迷子になってしまう。そんな彼女を助けたのが、人形の館(と噂されていた)の主であり、吸血鬼のソフィー・トワイライトだった。

13歳ぐらいの人形みたいにかわいいソフィーを一目で気に入った灯は毎日のように屋敷に通い始め、やがてそのまま住み始める。一人で暮らしていたソフィーの回りに灯の友達や吸血鬼のエリーがやってきてどんどんぎやかになっていく・・。※あらすじはネットより(改)

ゆったりのんびりとした展開で、あかりの突拍子のない行動や変わった考えが楽しい。吸血鬼と人間の感性の違いが面白かったり、なんと言っても基本的になかよしで相手をおもんばかることのできるところが素敵。嫌な気持ちにならない典型的なアニメ。そのせいもあって何度も繰り返し見ていた。

女の子ばかり出てくるけど、コメディータッチで今までは何とも思わずに見ていたのだけど、灯がソフィーの頬にキスしたり抱きついたりするし、女友だちが明らかに灯を好きなシーンもあって、これって百合なのか?と初めて思った。

オープニングのキスシーン

こんな顔で迫る

一緒に寝ようとしたり

こんなシーンがいっぱいあるのだけど、灯が可愛いものや人形が好きで、ソフィーを生きているめちゃくちゃ可愛い人形のように愛しているってことで、百合のようには感じなかった。友人のひなたが灯を異常なほどに好きなのだけど、それも、今まで一番自分が灯のそばにいたのに灯がソフィーにべったりしているを見て、嫉妬心や独占欲で苛ついている中学生ならではの行動(設定は高校生だけど、中学生程度に見える)と映っていた。百合と言うより、友人を取られたくない気持ちの発露で、たまたまその友人が女だったと言うだけと感じていた。

だけどもう一度見直して、やはり百合なのかなぁと感じてきた。まぁうっすらだけどね。

女の子だらけと言うより、女の子しかいない

さて本題に戻ろう。私がこの作品で一番好きなのは最後の一言なのだ。

最終話、あの森でもう一度迷った灯の前にソフィーが現れる。そしてもう一度同じことを言う。言葉は同じでも、意味は同じでも、その言葉は灯には全く違う。灯の表情もソフィーの表情も全く違う。それがとても嬉しい。見ていて良かったなと思う。私はこの最後のシーンを見たいために繰り返し12話見ていたのだ。そして見終わって、良かったなと思う。何度見ても同じ。心が優しくなる素晴らしいアニメだと感じる。

さて、まだ見て無くて興味の出た人がいればアマプラで見て欲しい。無駄な時間にはなりませんよ、絶対。

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