令和5年12月8日(金):だらだら書いてます
朝食:雑炊、平天2枚

雑炊はこれが最後、平天も残りを全て食べた。
ご飯を炊きたいのだけど、以前ご飯を炊いたらその時に限って色々たくさん食べるものを追加され、食べずに置いておくうちに悪くなったことがあって、たくさん炊くことに抵抗がある。ご飯を冷蔵庫で保管していたら(冷凍はしてなかった)悪くなっていたのだけど、今までそんな経験はなかったので驚いた。固くなる(このあたりではこわくなると言う)事はあっても、変質することはなかったんだけどね。そこで3コインズのプラスチック製1合炊き炊飯器を利用しているんだけど、家人はちゃんとした炊飯器で炊いた方が良いという。2,3合炊いたらこうなるからと言うのだがわからない。結局自分で経験してないことは全て他人事で、完全に理解することは難しいって事。
最近思うのだが、年寄りって他の人の言うことを聞かない。私は頑固なだけだと思っていたけど、最近そうではないのではと思いました。年寄りになるまでに自分の考え・判断基準・ルールが決まってしまうのだ。若いときは色々な経験や人の話で自分の判断基準を変えることが出来るし、そうやって自分の考えが固まってくるけど、考え方の固まった年寄りは、自分のルール・基準が正しいから他の人の話を聞かなくなってきただけだと思う。
藤子不二雄のマンガには必ずと言って良いほど頑固親父が出てくる。カミナリさんみたいなやつね。あれを見て、年寄りはいつも怒っている印象があった。怒らない人はすごく優しい好々爺になるイメージがあった。でも自分が年とってきてわかる。あれは自分の基準だけが正しいからそれで行動しているのだ。その際に2つに分かれ、基準に合わない事象に怒りを覚えるタイプと、基準に合わないことを「どうでもいいや、関わらない」と放置するタイプだ。
前者がカミナリさん。以前どこかの大学教授(元教授?)が「隣の公園で遊ぶ子どもの声がうるさい」とその公園を廃止させたことがあった。昼間に公園で子どもが遊ぶのは当たり前。子どもなんだから遊んでいたらはしゃぐのが当たり前。深夜ならともかく、そんなの当たり前。での年取った彼には違う。『人が家で静かに休んでいるのにうるさくするなんて悪いことだ。人に迷惑をかける行為だ。だからなくさないと行けない。』そう考える。それは自分の基準だから。彼には正しいことなのだ、社会常識とかけ離れていても自分の基準で行動するのだからそうなる。
オレオレ詐欺で何百万も振り込もうとしている年寄りに、銀行員や周囲の人が説得して止めようとしても年寄りはやめようとしない。私は情弱だからそうなると思っていたけど、そうではないのではないか。自分が(自分の基準で)正しいことをしているのだから、周囲の言っていることがおかしい。だから周囲が言っていることは間違い、雑音。そして自分の心が正しいと言うことを実行する。正しいことをしたのに自分が詐欺になったのは相手が悪い。自分は正しいことをした。責任は相手。そうやって相手に責任を押しつけて終わり。警察に言おうが周囲に助けを求めようが救済はされない。自分が周りのアドバイスを聞かなかったのが原因でも、「私は被害者」で終わり。残念。
私は後者。自分の基準に合わないことに対してどうでも良いと思ってしまう。あなたがそれで良いならそうすればって突き放す。知ったこっちゃないと思う。おかげで喧嘩はしない。放置する。達観していると好意的に捉えることも出来るが、そうじゃない。どうでも良いから好きにすればと周囲を拒絶しているだけ。
自分が若かったらそんなことは考えもしなかっただろう。しかし最近そう思うようになった。今までの経験・観察、そして自分の体験から『年を取るというのはこういうことなんかな』と思っている。これが間違いなのか、自分だけの特殊な事例なのか、それとも一般的な傾向なのかはもう少し観察してからの結論になるだろう。
さてどんな結論に到達するか。観察途中で「もうどうでもいいや」ってなる可能性もある。事実そうなりつつある。
昼食:サワラの粒マスタード揚げ、パスタスープ、米粉パン、ミカン

米粉パンは持ち帰った。自分は食べないから。多分家人がカレーシチューと共に食べるだろう。私はどうでも良い。
夕食:カレー

トンカツ買ってくれたので豪華になった。
このカレーは、色でわかるだろうけど豚肉カレーだ。甘口のルーを使って、私には甘すぎるのでS&Bの赤缶を使って少し辛くした(つもりだったけどさほど辛くはなかった)。家人が食べた残りには別のルーを追加して少し辛くしてみた。明日は残りを使ってカツカレーにするかカレーパスタで食べるつもり。
金曜日は嫌なことがあるのでさっさと寝ることにする。私は無関係、どうぞ勝手にと言う気分。
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