令和6年9月12日(木):合掌

 友人は天国に逝きました。昨日はうまく歩けなくなり、夜中にトイレに行きたいと言ったけど、途中で動けなくなり自転車に乗せて連れ帰りました。ところが玄関から入ることができずそこでまた動かなくなりました。しばらく休ませて無理矢理連れ込んで休ませたんだけど、今まで荒い息だったのがおだやかな息になって、後で考えれば息をする力がなくなっていたのでしょう、朝には虹の橋を渡っていました。

一昨晩は、淋しかったのか寝室に入ってきていたのですが、昨晩は入ってこず、もう動くこともできない状態だったのかなと思ってます。

朝食前、一度埋めていた穴を再度掘り返したんだけど、さすがに大きく掘ることまでできず、体も硬直していたのでちゃんとしたお墓も作れませんでした。今までちゃんと動けず、体もしんどかったでしょうけど、お空では苦しくもなく動き回れるようになっているでしょう。どうか安らかに。さようなら、我が友人。

朝食:冷凍炒飯

穴を掘ったりして時間がなくなった。作らなくても温めるだけで食べられるこういうものがあるとこんな日は助かる。仕事には遅れず行くことができた。

昼食:若鶏の照り焼き、湯葉のすまし汁、冷凍ミカン

今日は大きな仕事があり、私はその手伝いなのだけどぶっつけ本番で機械を合わせなければならず、さすがにちょっと心配していた。ちゃんと準備していたせいと、テクもあって問題なく終わって良かった。ただ最近でも最も蒸し暑い日で、この中での行事はさすがにしんどかった。私が年取っているから特にそうなのだろうけど、若い人はさすがに体力があると感心した。忙しすぎてご飯は半分も食べられなかった。食べる気にならなかったからかな。

実は明日も同じような企画がある。体力が持つか不安だ。朝のこともあって、仕事が忙しかったのは私には良かったのだろう。

夕食:外食

さすがに作る元気はなかった。気晴らしのためにも外出したかった。別に食べたいわけじゃないけど、気を紛らわすには何かした方が良い。外食して、買い物して、部屋を片付けたり掃除したり忙しく動いて疲れて眠るのが良いと思った。思い出すのはずっと先で良い。今は気が紛れる忙しさと疲れが大切だ。

かつて同じ友人が旅立ったとき、その後になぜか一輪の花が咲いた。どこから種が飛んできたのか、それとも友人の体に種がついていたのか。調べてみると針朝顔というものだった。

我が友の かはりに 針朝顔の花一輪

漢字ではなく「ハリアサガオ」と書くようだ。あだ名なのか、アカバナユウガオと言うのが本当の名前なのだと思う。その花を見たときに上の文字が浮かんできた。友人は花に変わってもう一度会いに来てくれたのだなと。その花もいつの間にか咲かなくなった。この友人は何になって会いに来てくれるだろう。花か、幻か、それとも夢か。急な別れだった。まさかこんなに急にと。まだ8歳だったのに。唐突すぎて実感がないのかもしれない。

外食に行くとき、いつもの道を通りながら、なぜ私は一人でここを通っているのだろうという気分になった。今までは傍らにいたのに。床を見ても姿が見えない。どこに行ったのかなと名前を呼びたくて押さえた。それはしてはいけないことだ。こうやって周りが少しずつ減っていくのが人生だろう。もう未練も無いし覚悟もできている。良い人生だったかどうかわからないけど、それももう終わったことだ。

今日はもう寝ることにしよう。それが一番良いことだ。

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