【アニメ】まほろまてぃっく
データを調べると BS-i のようだからもう20年以上前の作品なんだろう。今までは通して真剣に見た事はなかった。少し古臭さはあるが楽しい気分になる絵で、オープニングからエンディングまで嫌な気持ちになる事はなかった。少し音程が外れたようなオープニングソングもタイトル画像もギャグテイストを予感させるもので、実際にドタバタ学園ファミリー(戦闘シーンあり)もの。男子中学生が喜びそうなシーンもあり、肩肘張らず見られるものという認識だった。
1期、2期、特別篇とすべて録画していたが、ご飯を食べる時などたまに1話見て満足して、しばらく経って内容を忘れた頃、お風呂の後にコーヒー飲みながら見てを繰り返していた。上述のようにギャグ心や他の作品のパロディというかリスペクトというか、そういうシーンがあってニヤリと笑うと言う、私にとってはリラックスタイムのアニメと言う存在だった。戦闘シーンが出てきても攻撃シーンが出てきても、これはエヴァか、こっちはヤマトかとわかるのも面白かった。オープニングで庵野名が表示され、会社がガイナックスやシャフトと言うこともありエヴァのパロディー兼劣化バージョンだなぐらいのいい加減な考えをしていた。
数日前から真剣に全話を通して見て、私の見立てが愚かであったことを認識するとともに、非常に重い内容をギャグで隠して明るく見せていたことがわかり、作品への評価が大きく変わった。
地球へ来訪した異星人『セイント』(友好的設定)と、人類の歴史を影から操ってきた組織『管理者』が敵対し極秘裏に戦争を繰り広げている世界で、双方の争いを鎮めるために日々戦う組織「ヴェスパー」が生み出した最強の戦闘用アンドロイドがある中学生にメイドとして関わる話。※以下Wikiを参照
まほろは残り稼働日数が398日に達した事を機に引退を許可される。人間として暮らし始めた彼女の望みは美里優の家に住み込みのメイドとして派遣される事だった。隠してはいたが、彼女は彼の父親の命を奪った過去があり、罪滅ぼしの気持ちもあって最後の人生を彼との生活に求めていた。しかし二人での生活と中学校の仲間達や近所に住む人々との交流を経て、その生活に馴染んでいき大切にしたい気持ちが芽生える。
しかし彼女をライバル視するセイントの戦闘用アンドロイド・リューガや管理者から脱走してきたというサイボーグCODE:370(みなわ)、管理者のサイボーグ・フェルドランスが現れ、否応なく戦闘に巻き込まれていく。戦闘による負傷とエネルギー消費によってまほろの稼働日数は測定不能なほど僅かになってしまい、タイムリミットが迫る中でまほろは最期の決断を迫られる・・。
第1期は楽しく見られた。少し切なくなるのは、優(すぐる)の「来年も」と言う言葉に対して寂しそうに目をそらし言い淀むまほろの表情、話の終わりにまほろさんがその機能を停止するまで 残り××日と表示される数字。しかし私は楽観視していた。アニメだから、そして楽しく笑わせる系の話だからこそ、最後は特別な力や改造でまほろが永遠に起動できるようになるだろうと半ば確信のような期待をしていた。
1期が終わり総集編まで見て、2期を見始めて少しがっかりした。ギャグ要素が多くなるのは良いけど軽薄な話になってきて、これはハズレなのかなと思いながらそれでも最後にまほろさんが機能停止しないはずとそれを期待しながら見ていた。
敵は何度も出てきたが、それでもまほろが負けるはずはないと思っていたし、まだまだ機能停止まで時間があると思いながら見ていた。まほろの起動時間が極めて短くなっても、それでもまだ大丈夫と見ていた。
最終話一つ前の話、あの夕日の水辺でのキスシーンは、今まで見たどんなアニメや映画でも見られなかった最高に美しいシーンに感じた。だからこそ、あなたは本当の機能を知らないと言う言葉と、その次のシーンにはひどく心をえぐられた。あの話の後、私はひどい喪失感に嘖まれた。
今までも喪失感を感じた事はあった。お兄ちゃんはおしまい!が終わったときには、来週から見えないのかと思うとひどく悲しかった。高木さんが終わったときにひどく落胆した。ところが2期が始まり嬉しかった。3期が終わってもまたいつ会えると希望があった。今までは喪失感といってもその程度だった。ところが今回は違う。
もうまほろがこの世にいないのだと思うと、あまりにも心が空虚になって何を見ても楽しくなくなった。最終話で大人になってからもう一度出会っても、それはまほろではないと私は感じた。記憶が同じでも姿形が同じであっても、私から見て同じまほろではなかった。
私は考えた。そしてなぜそう思うのか。理由がわかった。
「同じ時間を過ごしていなければ、それは『同じ』ではない」と言う事。20年間一緒にいて同じ時間を過ごしていなければそれは同じではないことないと私には感じられていたのだ。
恋愛フロップスは最後がとても良かった。私は彼女たちが幸せになり、もう一度ファミリーになる姿を見てとても満足した。出会いが同じように見えてもまほろ2期の最終話はそう思えなかった。ただただ私の心の中には、まほろを失ったがらんどうのような心だけがあった。
そのあと特別編を見た。楽しい内容だった。このアニメのファンなら久しぶりに見られた登場人物たちが愛しく、楽しく見られたんだろう。でも私には空虚な偽物のような気がして、ただ目から入り耳から抜けていく気分だった。
これはアニメだ。生きている人たちの話じゃないし、架空でありただのデジタル信号だ。こんなものに心を惹かれても、心を壊される必然はないだろう。だけど私は今ひどく塞ぎ込んでいる。
理由の1つはわかっている。私がアニメを見ている理由の1つが「出てくる人たちが幸せになる姿を見たいから」。だから戦ったり殺したり陥れたり呪ったりする作品は見る気にならない。「何があっても最後は幸せになっていく姿」を私が見たいだけなのだ。
20年以上前の古い作品なので見たことのない人もいるだろうし、絵柄が古臭くて見る気にならないと言う人もいるだろう。私のようにデータをとっておいている人ならともかく、今はレンタルショップも減っているし見ることのできない人も多いのかもしれない。だけどこの作品は本当に素晴らしい。見る価値がある。考える価値がある。私のような変なショックを受けない人はどうか楽しんでみて欲しい。私はまほろさんにもう一度会いたい。
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